いま、多くのひとに観てほしい舞台「アンネ」

演出家、山下晃彦さんと対談しました!

舞台「アンネ」

5月3日から15日まで、シアター代官山で舞台「アンネ」が上演されています。

劇団ひまわり60周年記念公演「アンネ」は一昨年に初演されたもので、深い感動を覚えました。

無事に初日を迎えられた演出家の山下晃彦さんと対談しました。

なぜいま「アンネ」なの?

山下晃彦さん

 一昨年の初演のとき、正直言って、なぜいま「アンネ」なの、と思ったんです。小学校のときに読んだきり読み返していないし、ほとんどの人が、知ってはいるけど興味ない、っていう物語ですよね、もはや。でも、舞台を観てすごく感動して・・。

山下(以下、) ありがとうございます。僕もこの時代にアンネの日記をテーマにすることの難しさはすごく感じていました。

 第二次大戦のことを今も考え続けている人なんかいないですしね。

 2時間半もの暗い話にお金出すのいやだな、って思うだろうな、とか。でも、圧倒的な不自由さ、迫害された環境の中で人がどう生きるか、というテーマは、ある種の普遍性を持っているとは思ったんです。

天使の羽はアンネの魂

 最後の方で、全員が白い薄い紙を持って、羽みたいにふわふわさせるところがありますよね。そういうライティングだったかどうかわかりませんが、天上からの一筋の光に照らされた聖なる光景が立ち現れたと感じました。それに打たれて、ああそうか、人が生きるということには、聖なるもの、敬虔さといったものがあるんだ、と思い出したんです。

 あの紙は、アンネが書いた童話に出てくる天使の羽というモチーフをどう表現しようかと考えて、それが「紙」だ、と。

 紙・・。

 そう、アンネはキティと名付けた日記の他に童話もエッセイも書いていた。中でも日記は彼女の親友というか、鏡というか、それにずっと語りかけるように書いていくことで、自分自身と対話しているんですよね。その対話によって、2年間の隠れ家生活の後半に急成長していくんです。

 いわば紙が、アンネにとっての鏡。

 それと妖精がどう結び付けられるのかと考えていて、あるとき日記=紙=妖精、とつながった。

 紙の仕事をしているわたしにとって、紙のはかなさや尊さが、まさしく天使の羽のように響いて・・泣けました。

 それは紙がアンネの魂を体現するものだったからでしょうね。

 そしてあの狭い隠れ家ですが、震災後はなにかもう、イメージがだぶってしまって・・・。

そこに人がいたという実在を示したい

 日記と妖精と隠れ家というのがこの芝居の三つのモチーフなんですが、隠れ家については、震災後に考えがさらに深まりました。

 どんなふうに?

 あの津波の映像ばかり見ていると、そこに人々がいたことが想像できなくなってくるんですよね。ただ家という物理的な建物がなくなってしまっただけじゃない、一本の柱にも、見えない手跡みたいなものがたくさんついているわけでしょう、それが喪われてしまった。

 ただ雨露しのげるものがなくなった、ということだけでなく。

 家という、いわば世界と自分とをつなぎとめておくものがなくなってしまったんです。

 大事な精神のよりどころとしての家が・・・。

 その屋根の下に、どれだけデリケートな悲喜こもごもがあったか。演劇の一番なすべきことは、そこにそうして人がいた、という実在を示すことなんだ、と改めて感じました。

震災後、役者たちは・・・

 ちょうど震災のあった週が稽古始めだったそうですね。

 僕は全然やる気だったけれど、結局5日間、稽古を遅らせました。そして最初に集まったとき、震災でどう気持ちが変化したか、役者たちに話してもらったんです。

 あらゆる人が、あのとき、自分の仕事とは何か、社会の中てどういう意味を持っているのかを問い直さざるを得なかったですよね。

 でね、多くの若い役者たちが、いつもと何も変らない、自分が出来ることは芝居をするだけだ、と言ったんです。自分のやる仕事を感謝とともに淡々とやるだけですって。

 おおっ、カッコいい!

 もちろん何も手につかなかったという人もいたし、それはそれでわかるし、正直だな、と。でも役者たちも僕らも、人間とか人生とか命とかについて、いつも考えているんですね。それを改めて確認しました。

 アンネの隠れ家での暮らしの不自由さは、震災後により想像できるようになったとか。

 それはより身近になった。そしてさらに、生身の人間同士が向かい合っているんだ、ということをもっと意識するように役者たちに言い続けました。お客さんに、いまここに立ちあってくれる人々に敬意を持て、本当に誠実に語れ、と言って稽古してきたんです。

演劇は生身の人間同士が誠実に出会う場所

 言葉が情報としてだけの機能になって切り取られていく現代社会の中で、震災後は改めて、生身の人間の発する言葉のエネルギーを痛感しました。

 光野さんの朗読ライブでも感じることだけど、お客さんに対し敬意を持って誠実に言葉が発されるとき、お客さん自身も物語のなかに入らざるを得ないし、そこで語られる物語の大事な要素なんだ、と実感する。そして、自分が物語のかけがえのない一部だと観客が感じたとき、その内面に何かが起こる。

 感情の変化とか、あるいは心がマッサージされるようなことが起こる。いわばエネルギーの交感、交流ですね。

 目の前に生身の人間がいて、その命の手触り、つまり人がそこにいることの素晴らしさを2時間、用意された椅子で集中して観るということって、実は普段、あまりないことなんですよ。

 すごく特殊な、すごく素敵なことですよね。映像を見るのとはとは違う。

 それは舞台から観客へ、また観客から舞台へと確実に受け渡されていくコミュニケーションだから。それこそがいま求められているものだと僕は思うんです。

命を十全に輝かせて生きる

 「アンネの日記」は38カ国に翻訳されて、累計1800万冊売れている永遠不滅のベストセラー。この本のどこにそれだけの力があるんでしょうか。

 今という時代、世の中あらゆるパフォーマンスは、この世というスパンだけで見ると、多かれ少なかれ人が喜ぶものしか残らないんだと思うわけです。だけど「アンネの日記」にはそういう現世利益的なものだけじゃないものが宿っている。人間の世界を水平軸とすれば、垂直軸、つまり天と地というか、天上へと繋がる奥行きといったものがあると思います。

 アンネ自身が願っていた通りに、死んだあとにも残った。

 人々に対して、愛としか言いようのないものを死んでからも与え続けているわけです。

 弱冠13才の女の子が書いたものなのに・・・

 それはやっぱり、あの迫害された極限の状況下で、それでもアンテナを張って、命を十全に輝かそうとしたことの偉大さ、崇高さということだと思うんです。

 収容所へ入れられてからのアンネを語っている人がいるそうですね。

 がりがりに痩せた女の子がね、それでも「わたしに何かできることはありませんか、こう見えて、わたし結構手先が器用なんですよ」と笑顔で言っていた、という目撃談があります。

 震災後の世界で、アンネの生きる姿勢は、確実にわたしたちの指針となり得るものですね。今日はありがとうございました。

アンネ公式サイト
http://www.himawari.net/stage/anne/