池松宏さんのコントラバスに抱かれる

池松宏さん

この素敵な男性は、コントラバス奏者の池松宏さん。わたしが大好きな音楽家です。

初めて池松さんの音楽を聴いたとき、この方はいったい何者?と強い衝撃を受けました。第一コントラバスのソロなんて、それまで聴いたことがなかったのです。

池松さんが舞台に現れると、青い草の上を渡る風が起こりました。

素晴らしい演奏家は、演奏する前からわかります。そして、あまりに繊細で美しく、奥深い音色に涙が溢れました。

コントラバスは低音で支えるパート、ではなかったのだと思いました。独自の音色を奏でる、とてもドラマチックな楽器なのでした。

でも、それは池松さんだからこそ、ということも感じました。
池松さんは1964年ブラジル生まれ。コントラバスを始めたのは19歳のときだそうです。多くの音楽家が幼少期から始めるのに比べて異例です。そして、N響の首席奏者として、またソロや室内楽でも活躍していた池松さんが日本を離れ、ニュージーランドへ移住したのは2006年のこと。

ニュージーランドで家族とともに自然のなかで生きる暮らしをしたかった、というのがその理由と聞き、最初のコンサートで感じた風の意味がわかりました。

現在はニュージーランド交響楽団の首席コントラバス奏者であり、世界のトップ・コントラバシストのひとりです。

池松宏 日本の詩

そんな池松さんの新譜は「日本の詩」。
わたしは日本の、と名のつくものはとりあえず疑ってかかるクセがあります。ともすれば過剰な、紋切り型の情緒に流れているものが多いからです。

でも、このアルバムはまったく違いました。
聴いていると、とにかく気持ちがいい。

「すみれの花咲く頃」「故郷」「美しき天然」そして誰でも知っている日本のわらべ歌などなのに、脳裏に浮かぶ風景は大草原や広く高い空の青さです。そして自然界の光と闇です。

暖かく、頼もしく、大きなものに抱かれていく感覚。
繊細で精密極まりない音楽を、実におおらかな形で差し出す、という稀有なものだと思いました。

わたしが特に好きなのは「花」。
春のうららの~というあの曲が、バッハの無伴奏チェロ組曲第一番のプレリュードから始まり、ピアノが平均律を奏でると、コントラバスが主旋律をうたうという心踊るアレンジ。
最後はピチカートのジャズ風? ちょっとピアソラ風? と洒落た流れに。

あとからあとから薔薇色の花びらが降り注ぐかのような美しい音色に陶然となります。

「香水」という小説で有名なドイツの作家、パトリック・ズュースキントは、短編小説「コントラバス」のなかで、こう語っています。

「コントラバスは女性的な、そしてまじめそのものの楽器なんです。(中略)見方を変えると、生の原理や豊穣さや母なる大地といったものを補完するものでもあるんです」

少し日が翳った夏の終わりの夕暮れ時に聴きたくなるCDです。