アレクサンドル・ソクーロフ「太陽」初日

初日にどうしてもロードショウで観たい映画がある。これもその一つだった。8月5日、寝坊して初回は見逃し、午後5時40分の回を目指して、3時頃整理券を取りにいくことに。一足先に行った友達から「もう立ち見」との連絡があり、仕方なく8時の回にする。7時20分、銀座シネパトス前の外階段は、もう人でいっぱい。えーっ、なんなの、この気合の入り方は?
ほとんどが若い人たちだ。早い回は熟年が多かったらしいが、まるでこれではSWみたい。最近のニュースの影響か、ソクーロフ・ファン? 違うだろうな。7時半の段階で、立ち見すら売り切れ、とアナウンス。驚きつつ、なんとか席を確保。
イッセー尾形の演技が、もうなんというか、すご過ぎて呆然。天才、という言葉すら凡庸に感じられる。他の役者が出てくると、急に画面のクオリティが変わるのだもの。つまり、現実に引き戻されるのだ。これは映画であり、私は映画を観ているんだ、ということをやっと思い出す。それほど、イッセー尾形は、もう向こう側に行ってしまっている。
何回かアップで映される天皇の手。それは、繊細でやわらかく白く、美しい。この手がすべてを物語っている。イッセー尾形の手そのものが、そんなふうに美しいという事にとても納得。この役者の、演技を超えてなお滲み出てくる繊細さ、無垢さこそ、ソクーロフ監督が欲しかったものなのだろう。肩の線のはかなさ。所作の奥ゆかしい愛らしさ。天皇の、そんな存在感に見惚れて、これが終戦前後を舞台にしている、ということをふと忘れてしまう。
ここまでの愛をもって昭和天皇を表現する、ということは日本人にはとうていできないことだろう。複雑な気持ちだ。でも、いやではない。ただ、最後、桃井かおりの皇后が、恐ろしい目をして侍従長と天皇を凝視するシーン、そこだけは違和感があった。女性の、母性としての怒りを表現したかった、ということのようだが、唐突に感じられた。
映画が終わると、すぐに感想を話しながら席を立つ若い人たちが多かった。とにかくおしゃれな人が多い。どんな風に感じたのか、訊いてみたい。暗い時代のことを、もしかしたら私の世代より直感的にわかるのが、彼らなのかもしれない。